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向こうが南、手前が北。
右手に見えるのがJR武生駅です。
東側に隣接するカタチで
始発駅『社武生(しゃたけふ)』はありました。 |
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社武生駅から北へ100mほど行くと、
JR線をくぐる地下道があります。
向こう側には同じ福井鉄道福武線の
『武生新(たけふしん)』駅があります。
そしてそことの接続駅『福武口(ふくぶぐち)』が
ここにありました。
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更にJR線と並走するように北へ。
この跨線橋の辺りに
『北府(きたご)』という駅があったそうです。
近くにある高校の生徒の為に
朝・夕のみの停車だったそうです。
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JR線との並走に別れを告げ、
進路を東へと取ります。
日野川を渡っていた鉄橋は、
現在、歩行者と自転車の専用橋となっていました。
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日野川を渡ると、
廃線跡がキレイに道路に整備されています。
このまっすぐな道の途中に
『村国(むらくに)』駅はありました。
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村国駅跡。
今でも南越線で使われていた車両が静態保存されています。
ただ、長年雨ざらしにされているので、
所々腐食が目立って来ています。
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保存車両の隣に『KM鉄道資料館』があります。
なんでも福井鉄道の社員だった方が建てた
私設資料館とのこと。
なぜ「KM」なのか?不明です。
この日はお休みでした。
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更に東へと進みます。
北陸自動車道をくぐります。
この手前、
北陸自動車道の西側に
『塚町(つかまち)』駅がありました。
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北陸自動車道をくぐると、県道と交差します。
交差してすぐの所に駅がありました。
『北村(きたむら)』
駅という名前です。
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更に南東へ進みますと、
浅水(あそうず)川に今も橋梁が残っています。
当時の面影がとても残っている
大切な遺産です。
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橋梁を少し南東に進んだ所に
もう一つ、小さな橋梁が残っています。
錆びていますが、
こちらも当時の雰囲気が感じられます。
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更に進むと工場の間の道路があります。
ここを昔は南越線が走っていた訳ですが、
ここには貨物ターミナルがありました。 |
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工場を抜けると
道路右手に少し広い土地がありました。
おそらくこの辺に
『五分市(ごぶいち)』駅があったのでしょう。
毎年お祭りの時は
この駅で降りていたなぁ・・・。
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廃線跡に整備された道路は
この後左に進路を取り、北へと進みます。
田んぼのど真ん中を
南越線は何年も走り続けていたのでした。
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山に近づき、今立町に入ります。
道は右に曲がります。
いよいよ終点に近づいてきました。
このカーブの途中に踏切がありました。
小さい頃の遊び場でした。
いつも電車を見ていました。
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写真左の公園が終点『粟田部(あわたべ)』駅跡です。
この辺は友達の家も多く、よく遊んだものです。
線路に耳を当ててじっと待っていると、
やがて線路の向こうから「カタタン、カタタン」と
音が聞こえ、電車が見えてくる。
昔だから許される行為でしたかね(笑)
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