福井鉄道 南越線跡 ('04年5月3日)
 
 
 
私SGIの故郷は
福井県の今立(いまだて)町です。
そこには昔、
今立町市街から国鉄武生駅を目指して
電車が走っていました。

その名は
福井鉄道 南越(なんえつ)線

残念ながら
1981年に全線が廃止されてしまいました。

今回は
この南越線のかつて走っていた路線を
辿ってみました。


画像をクリックすると拡大画像が出てきます。

向こうが南、手前が北。
右手に見えるのがJR武生駅です。
東側に隣接するカタチで
始発駅『社武生(しゃたけふ)』はありました。

社武生駅から北へ100mほど行くと、
JR線をくぐる地下道があります。
向こう側には同じ福井鉄道福武線の
『武生新(たけふしん)』駅があります。

そしてそことの接続駅『福武口(ふくぶぐち)』が
ここにありました。

更にJR線と並走するように北へ。
この跨線橋の辺りに
北府(きたご)』という駅があったそうです。

近くにある高校の生徒の為に
朝・夕のみの停車だったそうです。

JR線との並走に別れを告げ、
進路を東へと取ります。

日野川を渡っていた鉄橋は、
現在、歩行者と自転車の専用橋となっていました。

日野川を渡ると、
廃線跡がキレイに道路に整備されています。

このまっすぐな道の途中に
村国(むらくに)』駅はありました。

村国駅跡。
今でも南越線で使われていた車両が静態保存されています。

ただ、長年雨ざらしにされているので、
所々腐食が目立って来ています。

保存車両の隣に『KM鉄道資料館』があります。
なんでも福井鉄道の社員だった方が建てた
私設資料館とのこと。

なぜ「KM」なのか?不明です。
この日はお休みでした。

更に東へと進みます。
北陸自動車道をくぐります。

この手前、
北陸自動車道の西側に
塚町(つかまち)』駅がありました。

北陸自動車道をくぐると、県道と交差します。
交差してすぐの所に駅がありました。

北村(きたむら)』 駅という名前です。

更に南東へ進みますと、
浅水(あそうず)川に今も橋梁が残っています。

当時の面影がとても残っている
大切な遺産です。

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橋梁を少し南東に進んだ所に
もう一つ、小さな橋梁が残っています。

錆びていますが、
こちらも当時の雰囲気が感じられます。

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更に進むと工場の間の道路があります。
ここを昔は南越線が走っていた訳ですが、
ここには貨物ターミナルがありました。
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工場を抜けると
道路右手に少し広い土地がありました。
おそらくこの辺に
五分市(ごぶいち)』駅があったのでしょう。

毎年お祭りの時は
この駅で降りていたなぁ・・・。

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廃線跡に整備された道路は
この後左に進路を取り、北へと進みます。

田んぼのど真ん中を
南越線は何年も走り続けていたのでした。

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山に近づき、今立町に入ります。
道は右に曲がります。
いよいよ終点に近づいてきました。

このカーブの途中に踏切がありました。
小さい頃の遊び場でした。
いつも電車を見ていました。

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写真左の公園が終点『粟田部(あわたべ)』駅跡です。
この辺は友達の家も多く、よく遊んだものです。

線路に耳を当ててじっと待っていると、
やがて線路の向こうから「カタタン、カタタン」と
音が聞こえ、電車が見えてくる。
昔だから許される行為でしたかね(笑)


更に昔は粟田部駅から東へ進み、
岡本新(おかもとしん)』駅でスイッチバックした後、北へと進路を取り、
お隣、鯖江(さばえ)市の『戸ノ口(とのくち)』まで路線があったそうです。

戸ノ口までの路線は以下の通り。
…岡本新⇔定友(さだとも)⇔野岡(のおか)⇔庄境(しょうざかい)⇔赤坂(あかさか)⇔戸ノ口

ただ、その時には私はまだ生まれていませんでした。
でも、 きっとのどかな風景がそこにはあったのでしょう・・・。

いつまでもそのままで在って欲しい風景ではありますが、
今度は「今立町」そのものが市町村再編の流れで姿を消してしまいました・・・。



 

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